月鞠十四号 「虹の根本」

雲おもき水底の空ああわれは息継ぎ下手の生きものなるよ そぼ濡れてをるわが肌に虹色の山椒魚は這ひあがりきぬ 雨ばかり風吹くばかりの休日は「紅の豚」を繰り返し見つ 雨上がりきみは知らずやおのおのが虹の根本となりたることを 風つよく切り捨てられない…

絵画のやうに + 1

あかあかと接吻交はしクリムトの崩れゆきたるのうぜんかづら 接吻:くちづけ 大いなる地下水脈を抱くごとく弄ばれし果てのピアニシモ きみといふ稜線たどり終はりなむ爪先までの西陽をうけて ワイシャツは縞の模様に染まりけりブラインドとふその場しのぎの …

朝のメール 七月、アルコール依存症の仲間から余命十カ月とのメールが届く

暖簾とふ結界ありしが酔ふほどに頭をたれる無頼でありき 無頼とふ呼び名もらひし吹きだまり猫のいつぴきシャツに包みつ

二十六首

炎天に堂々と降る蝉しぐれ赦しを待てる嘆きにあらず 影のごとゴマダラカミキリ飛び去りて地上すれすれの空の残れり 木洩れ日はやさしかりけり来し方を問はずにあそぶ手のひらの上を 真夏日のごみステーション雷雲を映して立てる姿見ひとつ 恋初めし文月うた…

十三首 (思ひ出)

まな板に鯉のいつぴき腐りをり西日のなかの旋律ひくし 忘却はかなはずにあり常しへに添ふて降りたる花ちらしの雨 膀胱のからつぽになりたるしあはせを老荘思想と嘯きてをり ああこれがすずかけの道あつらひの思ひ出恋ふる日暮れも来たり この道をしまらく行…

十八首

サブリミナル効果のごと夕 やけに向かひて人は「 実 は 」と言へり 胸に手を当てれば脈のかさこそと枯れ葉いちまいおちてゆきたり 十年ののちを思へば十年の歳月ありや日は暮れゆけり きのふへの夜へともどる階梯に腰をかけをるわれに会ひたり 雲よりも低く…

落ち葉を拾ふ

霜月の旅に出るためマフラーのほつれをかがる言葉えらびぬ 杖をつきコンと鳴りたる夕ぐれに地球空洞説をわれは思へり 制覇とふ祝祭あるらしドーナツの穴から見やる街のパレード まだ紅葉の少なかりける秋の日の足ふきマットの赤のウェルカム 「中身のない人…

半年歌

水無月のにほひは青し手さぐりの言葉の杖をついて歩めり ひと雨に花となりゆく六月の杳き眼をしたわれのそれから くちなしは赦し請ふやう移ろへり真白きことのせゐならなくに 赦されたいただそれだけの一日を終へて咲き たる待宵草は 試されてゐたかもしれぬ…

七曜表

いくつもの扉を抜けし密室に手術台ひとつあからさまなり こんなにも明るい部屋で血を流す人のありしか他人ごとのやう マグロのごとく転がりをれば天井にどこへも行けぬ海図ひろぐる 麻酔から戻つてこれぬ心地してうしなふものを数へはじめつ 危急なる運びと…

十四首

口惜しく襟をたてをり冬空に消へゆくのみのわれの喫煙 暮れてゆく冬日のなかの物語たれもヒーローヒロインならず あきらめの後に咲きたる水仙の小さき明りわれも灯さむ 厳寒の野外喫煙コーナーに日本ペンギン寄りそひをりぬ 月までを歩いてゆかむきみといふ…

十七首

オリオンのひくき扉をたたきゐしわれの少年消へてゆきにき 公園の日だまりとほき約束の地にむかひたる冬の黄立羽 回文のはがきがとどく雨の日にスキスキスから滲んでゐたり われ逝ける朝さむければつひにふり雪にまみれるさざんか添へよ たまさかにさき逝く…

十九首

散りおへき命つなぐはこんなにも無防備なるか月にさらされ 問ひかける鏡の中のこの皺は何をはこびしいつの運河か 髭を剃る詫びいるやうな貌うかび約束事はなべて重たし 起きぬけの鏡にうつる輪郭をなぞれば頬の骨で止まりぬ 負ひ目ゆゑきみの言葉の端々を取…

七首

採血のまなぶた閉ぢるつかのまに子供とかへるうしろの正面 さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし 朝からの雨降りやまずあさがほの枯れたる蔓のいまだ絡めり まだ若く巡り会ふべき人たちを知らずに弾きし春のオルガン ふたつみつ街の…

二十三首

見つめつつ祈りのかたちに手を合はす生命線のすこしずれをり 金木犀くしやみする猫われとまた秋のさなかに身を置くひと り 猫の影われの影などながながと等価となりし西日の中に 群れなさず一本のみのため息も花でありけり緋の曼珠沙華 ときどきは風を伝へる…

十三首

長月の朔は雨のなかにあり流さずにゐし涙かぞへり さやうなら舟はゆきたり九月へと祈り祈ればひぐらしの鳴く 聖九月あをの高みへ舟をだしなにも望まずをりたかりしを 浮き橋を越へてゆきたる長月の移ろふだけのわれも愛さむ やはらかき九月の森を越へてゆく…

十五首

野の匂い胸に迫れる初夏の夜風の中へわれを解きぬ 解きぬ:ほどきぬ 捕虫網破れしままの八月に逃ししものを未だ知らざり 夾竹桃おだやかならずくれなゐの潜みの中に意志のあるらし 夏よ アスファルト溶けやはらかき喪章のごとく揚羽とまりぬ 題詠「アスファ…

十九首

水平にひらく海へと風のゆくわれは失語の旗でありけり この海も海へとつづく海ならむ心地のわろき壊れしベンチ 真夏日に内海は凪ぎどこからか漂ひきたるタイヤのひとつ ものがたり聞かせておくれ凪ぐほどの記憶ひめたる海になるなら 視界よりなほあふれたる…

十八首

さやうなら三度となへる水無月の海は海へとつながりて雨 もういちど別れることが叶ふならわたつみに降る雨の細かり *以上二首、雨の神戸港にて 夜が割れささやきの降るわれは手を椀のかたちに合はせて祈る 昼顔の揺れるにまかす音楽を犬と聞きをり小一時間…

二十一首

最後まで使ひ終へたる鉛筆を捨てきれずにをる部屋うす暗き 風景の遠のきはじむ誰れときに立ちつくしをり空つぽの拳 空からの言葉をすべて手に受くる托鉢のごと頭をたれて 頭:かうべ たれひとり漏れることなく点呼されやがてひと山の匿名となる おそらくは契…

二十七首

紅つばき音なく落ちし春の日の地に着くまでのながき一瞬 紅こぶし泣きながら散るやはらかき風を憂ふは生きてをるゆゑ 散文を書いてどうする黄昏の一人ひとりが判別できぬ 花の散るそのつかの間をわれは見ずたれかに追はるる盗人のごと あらそひは避けてきた…

二十四首

知らぬまに夜は降りつみまなうらに深くささりし棘に気づけり 三月の見切り発車の春の香に夜は秘密を守りてをりぬ 薄墨のショールをまとひ日は往きぬ迷へば弥生に芽吹く花々 三月の夜のただよふ公園の道なだらかに胸をひらきぬ 山茶花もかたへの風もおくり名…

十三首

滾るほど湯をわかしけり冬の夜のルイボスティーに恨みはなきに 如月の日和よき日に帆を張るはあばらの男のむかしの習ひ けたたましく笛吹く薬缶ひとりならしばしのあひだ聞きいりてをり まざまざと散れば芥のさざんかの真つすぐ歩めぬ道となりたり バラスト…

十六首

底冷えの静けさのなかきみの死は地中をつたひ蛇口より漏る 記憶せよ身を切る風にさらはれし汝の黒髪もわが眼差しも 迷はぬやう冬の道ゆく街灯のひとつひとつに影をみとめて 後ろすがた距離あることのときめきの影をふみしめ陸橋をゆく 眼下には電車の眠りわ…

挽歌二十八首

弔ひの日々となりける弟月の升を消しゆく手帳小さき 死よりなほ選ぶものありえんえんと公孫樹並木の冬降りやまず 夕暮れに墨のながれき供物たる星座いでけり死者の数だけ 空ひくく枝をかさねるさくら木のたれもすくへぬ冬の手のひら やはらかな光りつつめよ…

逝きしMへ捧ぐ六首

メール終へ震へてゐたる指先のその先にある死のやうなもの 礼を欠くそんな気がして風の日にマフラー巻かず会ひに行きたり 改札を抜ければもはやモノクロの映画の中に入り行くやう 肺水腫なぜその川を渡つたかベッドの上の溺死といふや 目のまへの死をいかん…

十八首

ひとつしか星見あたらずかりそめの命乞ふごと祈りをりたり 晩秋になにを惜しめり往くものは去るにはあらず鶏頭の紅 誰そ彼の墓苑のごとき高層の窓辺に人は喪服で立てり 手品師の鳩になりたき日々のあり風切り羽のなき日でありき 柿ひとつ卓のま中にゆふばえ…

連作 雨に祈る

空からの言葉はおもくうつむけば雨の降りだし傘をひらかな 雨の日をいかに過ごさむ音楽も開いた本も濡れてゆきたり 安定剤われを鎮めり何丁目何番地かに棲みたるツグミ 背中をおす何ものかゐる神無月かほりにむせて冬にはいりぬ 背中:せな あるものはあるべ…

二十一首

虫の音は言ひわけのごとかそけきに明日のため書く日記を持たず 諾々と認めたる嘘うつむけばこんなに重いものか頭は 頭:かうべ 堕ちてくる鳥をおもへば蒼穹は死にゆくまでのあをの高みぞ さびしきは鳥を飼ふひと口真似をまた口真似て布をかぶせり 秋の日とふ…

十八首

ああ空を埋め尽くしたるさるすべり風の吹くまで百日すこし 夕ぐれのあはいからふるひぐらしの声のむかうに闇は満ちをり 満ちたればいつせいに止みひぐらしの明日までのこる声のわづかに 遠い日の思ひ引きよす歌声をリプレイしをる機器のあたらし ながながと…

「月鞠」八号 どろの舟 十首

人波に逆らひ歩く夕まぐれ落ちゆくまでの止まり木ひとつ 漕ぎだすは標なき海どろ舟のどろの櫂もてどろの舵とれ 酩酊のわが足取りはつひぞ消え行方不明の夜となりたり 誘蛾灯指名手配のわれなればここにゐるよと火だるまでをり 甘えてはうらみつらみの懐手夜…