十九首
水平にひらく海へと風のゆくわれは失語の旗でありけり
この海も海へとつづく海ならむ心地のわろき壊れしベンチ
真夏日に内海は凪ぎどこからか漂ひきたるタイヤのひとつ
ものがたり聞かせておくれ凪ぐほどの記憶ひめたる海になるなら
視界よりなほあふれたる水平をたたへて海は海にかへりぬ
*以上神戸港にて
爪ふかく切つてしまひきキーボード馴染めぬままに今日を終へたり
七夕に生まれし星のめぐりあひヴェガとなりたる母を思へよ 七日生まれの文名生君へ
あしたへとまた咲く花を買ひにゆく入道雲のわき出づるころ
夏風邪にいづく彷徨ふランボーの名前を捨てし後ろすがたよ
炎天に寒さおもほゆ夏風邪の鼻をかみたる梔子ひとつ
桟橋の途切れるむかうに陽はしづみ何を見おくる人影ふたつ
一秒の狂ひさへなく家を出る自由の日々へ初蝉の鳴く
ゆくわれを責めるがごとく蝉の鳴く命ひとつは同じじやないか
われにしか見えざる橋を越へてゆく夏の鼓動の高まりしころ
ゆゑもなく湧き出づるものあり滂沱ひた鳴く蝉に囲まれをりて
処方箋いちまい白し炎天の遠きところでキリギリス鳴く
ボサノバのたまゆら流れもうすでに鳴き止みにけり短夜の蝉
気付かずに毀れはじめししあはせの秘して繕ふことば醜き
寄る辺なきわれのしじまに降り積もる問ひを数へて眠りにつきぬ