小夜子その

月光62号(2019/12/31発行)

 

 

 月光にかすか声ありかたわらを擦り傷のよう過ぎてゆきたり

 

小夜子その体をさらし月光の通り過ぎゆく四肢の木漏れ日     月光:つきのひ

 

一月の水のにおいや火星にもそれはありやとつばきが落ちる

 

小夜子その人差し指を口にあて睦月は黙し生きていかんよ     黙し:もだし

 

息切らし丘へあがらん落日が命を乞うをときに見るため

 

小夜子その息切らすまで駆け上がる美しさとは常に立つこと

 

黴臭き本を開いてまた閉じるたった一枚の写真のために

 

小夜子その瞳を閉じてアイコンの踊る時代の隠喩となりぬ

 

物語そこから始まる陽のささぬ書架の奥処のその本の奥

 

小夜子その永遠なりしグラビアの姿はいつも光と影の

 

香りがねあなたを誘ういつだって夜にはひらく夢を見たがる

 

小夜子その小さき夜を開きゆくムスクに惑う指さきの先

 

皓々と時代がまぶしいかまびすし身をひるがえしやがて消えゆく

 

小夜子その前髪を切り軽々とマントを纏うひと世でありき

 

 

*この連作は2019年02月に発行されたネットプリント水瓶座短歌アンソロジー」に掲載したものに手を加えました。

 

 

 

Sad Song

月光61号(2019/10/31発行)

 

 

 

六月のUndercurrent死者たちも名を呼ばれまた息継ぎをする

 

春はゆき海の面に雨が降りやがて潮流 たどり着くまで     面:おもて

 

雨は止みあじさい色のさまざまな日の丸の丸咲いていたるよ

 

水無月猛暑日ありてぐしゃぐしゃとペットボトルが捻られてゆく

 

野良犬を見ることもなしちかごろは雨に打たれるほどの恋もなし

 

静かなる海を思えよ垂直にわが身をたもち十字架とする

 

梅雨空の雲の重たく首すくめ堂島浜のケーキ屋を過ぐ

 

死者たちが沈んで来そうな六月の雲見上げおりあの海は遠い

 

海流が戻ってくるの胸元の危険水位を騒がせながら

 

捜索終了 それでもぼくは頑なで人差し指が芽吹くのを待つ

 

七月のOver the rainbowその消えゆくものだけが歌になる

 

つばめ飛ぶ空ひくくしていくつもの螺旋の中に子どもらはおり

 

大空へ帰ってゆくのかネグレクトされし子どもら雛鳥ならば

 

そうみんな子どもだったから傷負えばそのまま返す 子どものままで

 

選ばれしきみはいい子で笑わずに悲しみに満ち前だけを向き

 

遮眼革気づけばみんな付けていてドラッグストアで売られる未来

 

根絶やしの「アリの巣コロリ」さりげなく優生思想のならぶ初夏

 

監視カメラに上書きされるぼくたちの安全保障は瑕疵っているぜ   瑕疵:バグ

 

それはとてもささいなようでとりかえしつかない地へと運ばれてゆく

 

子どもらを援けに行くよぼくたちは去りゆくのみの老兵ならず    援け:たすけ

 

八月のEpitaphまでを歩きおりわが身を守る水飲みながら

 

蝉声の突然に止み八月のラジオのノイズいまも続けり       蝉声:せんせい

 

愛国は哀しからずやいつの日も国つきまとい愛にはなれず

 

驟雨 それは濡れてもいい雨その場かぎりの嘘まみれより

 

鳴き声は同調圧力もうすでに役目を終えた蝉は転がり

 

ベタ記事の命ちいさく報じられ灯油をかぶって火を放ちし人

 

あまたある防犯カメラを言い換えて安心カメラと呼ぶディストピア

 

先だってよ先だってのこと踏切でふとおばあさんとおじいさんが

 

人の死を望まぬといえ花殻の生産性はテロルのごとく

 

容赦なき日射しの中のパラソルのあなたはついに殺意をいだく

 

 

 

濡れた朝刊―クリスチャン・ボルタンスキー展へ行く

月光60号(2019/08/31発行)

 

 

 

 雪ふれば「私の上に…」と口をつく中也の倍の齢かさねて

 

                 *

 

シクラメン売れ残りたる店先の雪ふらずともほのかに明し

 

COPD泳ぐがごとく息を継ぎ噎せるがごとく葉桜を過ぐ

 

思い出はフィルムのように傷みだしさよならの日に降りしさみどり

 

時代とはネットで求めし詩画集にかすかに残る煙草のにおい

 

肺腑にも意志はあるらし喫煙の仕返しとばかりぼくを苛む

 

吸うは足り吐くが足りぬと医師の言うそれほどに欲ぶかき生なり

 

宿痾など鼻持ちならぬ言の葉の血を捨てつつも空気が足りぬ

 

面倒なことは嫌いさおまえには後腐れない番号を振る

 

「お前ら」と名前を奪うぼくがいて夕暮れさえも諧調を持つ

 

蓬髪をなでつけながら「ダイジョウブ」鏡よ鏡かさねる嘘よ

 

弱ってる金魚を狙え夏の夜に浴衣の袖は水にしたたり

 

連綿と死はつづきたり手にとりし遺骸のような濡れた朝刊

 

訃報覧切り抜き終えて無縁ゆえ墓碑銘つくる雨の日曜

 

奪われし名前も服も列島の除染土のごと山積みのまま

 

千の習作 ミル・エチュード

月光59号(2019/06/30発行)               

 

 

はにかみは彼の思想か夕暮れを差し出すように言葉を鎮め

 

含羞の漢だったよ背を丸め私と並びひとつの傘に   漢:おとこ

 

くちぐせの「おれは好きやで」頑なな主張にあらず飲み干すグラス

 

指焦げる臭いがしたか傾けるグラスはいつもジンに満たされ

 

ハイライト、ハンチング帽、ジンロック、ふらふら路地へ消えてしまえり

 

酔っぱらい行方不明の大男どこで泣くのか携帯を切り

 

空の青、繁りゆく空、生命は不思議に満ちた綿密な地図

 

きみは待っていたのかもしれず空色を映して揺るがぬ水平線を

 

果たしてきみは朽ちゆくものを好んだか時間はいつか錆びついた環   環:かん

 

病魔は突然やってきてぼちぼちと頷ききみはよいしょと立って

 

生命の地図を描いてはにかんで死を超えるための千の習作

 

痛み止め打ちつつ描く幾枚の画布のなか立ちあがるC'est la vie   画布:カンバス

 

波を打つ命の束をさらにまた色を重ねる うねっておるよ

 

魂はしずかにあるときみは言う「ええかんじやな」そのまま逝きし

 

花々はくりかえされる命なり裏切りのなききみの筆跡   筆跡:ふであと

 

カンバスに万古の細胞ゆれており世界はやがて恋に目覚める

 

ドゥルース、ニーチェが並ぶ書架を見る哲学を語るきみをぼくは知らない

 

きみのいないアトリエに埃が積もるライヒとグールドの上にも

 

ゆっくりと思いを語るきみがなお積み上げてゆく理論が展く

 

描かれて出来上がったものがすべてならきみの笑顔をどこにしまえば

 

やがて言葉の焔たつあかあかと画布を染めよ!と触手がのびる

 

何者にならずにいるのもむずかしく肩書のなききみはうるわし

 

うるわしき誤解の果てにぼくはいて縺れたままで続くあやとり

 

あんどんを灯せばゆらり立ちあがる影のような大男だったよ

 

「やることがある」それを最後の言葉としきみの写真はほほ笑んでおり

 

その笑みはぼくをほぐして突き抜けて空いちめんに広がりゆけり

 

愛なんて陳腐すぎるし嫌だよな笑ってしまう罪づくりかも

 

初めてのなにかが足りぬ夏になり秋がきたれば満ちてゆく水

 

名を呼べば返事するらし風鈴の音は秋空へ 会いにいきたし     音:ね

 

その向こういつもの通りきみがいたもういないのかと夜を出てゆく

 

 

二〇一八年七月二日朝、長年の友人で会った松尾達博君が胆管癌で亡くなった。五十七歳。亡くなる直前まで絵を描き続けた。通夜に行くと、そこには激痛に耐えて描き続けた“習作”が飾られていた。死を前にしてなぜ「千の習作」だったのか。胸を打つ。

 

 

 

死地へ行く

月光58号(2019/04/30発行)

 

もし、神さまが私を長生きさせてくださるのなら、私は社会に出て、人類のために働きたいのです ― アンネ・フランク

 

 

移ろいしアンネの薔薇の棘はなぜ鋭くありぬ神の悪戯

 

 

死地へ行く

 

 

たわわなる死を実らせてわが胸の喫水線は深まりゆけり

 

オーロラを一度は見んと死の淵へ降りてゆきたる花冷えの夜

 

死地へ行く少女もいたりこれからは命ののちを何と呼ぶべき

 

眠りゆくクラリネットのささやきに生のまどろむ陽だまりの午後           生:せい

 

国境の丘に咲く花ひとり死にふたりが死んで名前が残り

 

花の名はアンビヴァレンツ朝に発つ兵士はすでにヘルメットを脱ぎ

 

木漏れ陽は一度は死んだ男の眼ぼくの身体をうらやましがる    身体:からだ

 

死んだ者たちが言う安らぎよりも日々の奉仕をわたしに科せと

 

生きている者たちが言う息ふかく空を仰げるここが底だと

 

赴くとはみずから暮れる陽のように再戦かたるボクサーのように

 

船がゆく飛行機がゆくぼくの眼を水平に過ぐ不帰の人たち

 

夕照にきらびやかなる航跡のすれ違いゆきやがて終焉

 

 

 

春は鳥の言葉を + 1

月光57号(2018/12/31発行) 

 

 

 わすれもの光のみちる冬の空さらさら鳥は風に流され

 

流されし鳥も夕べに帰りつく心あるらし時報のきこゆ

 

ぼんやりときみを見ている輪郭が世界にとけてもう戻れない

 

戻らない夕陽をひとつポケットに忍ばせおわる冬のいちにち

 

真冬日とニュースが告げるざっくりのセーター選ぶ採血のため

 

ああ、ついに春待つ人となりにけり霞のなかの見えざるものよ

 

春霞家路はとおく蒲公英の踏みしだかれて風もながれず

 

春からは向日性の服をだし曲馬団より先を歩めり

 

木蓮とともに開かぬ春の戸を悲しかなしと開けていたるよ

 

菜種梅雨明けて青空もういちど春から始まる暦を編んで

 

目の前に器用に組まれた脚のあり眠たき女は楽譜を閉じる

 

春眠の背中重たき車内にてまどろみゆくは遠い日々なり

 

歌わずに春を過ぐ鳥それぞれの理由をもちて向きのさまざま

 

カタコトの鳥語を話し野をゆけば何とかなると思えてくるの

 

 

梔子の自傷してゆく白を過ぐケルンコンサ―トを聴きながら

 

 

 

いつの言葉か

月光56号(2018/9/30発行) 

 

 

日々はゆく核ののちのち月蝕を迎えていたり睦月尽日

 

何ならん赤銅の月過ぎてなおわたしの胸に重く浮かべり

 

寒雷か地鳴りかと思う郷愁がざあああーっと襲いくる午后

 

あの日から日々は不可逆垂直の背を望まれて向日葵はあり

 

灯をともす黄の花々の喜びを抱えきれずにさらに春めく

 

立ちすくむ感覚が脚に残ってるそれからの生の補助線を引く

 

生まれたる不安も夢もすぎてゆく影に呑まれるわれらの欠片

 

青年の胸板うすくはじかれし月のしずくを供物となして

 

 

 

遠吠えを聴かなくなりし冬空の月きわまるとはいつの言葉か