三十二首
遠ざかる花ひとひらを見送りしわれも運べよかたへの風よ
柩へとなだれ込むごと咲くさくら明日を知る術もたぬわれらに
つれづれになしをへしことはらはらとさくらのごとくよごれゆきたり
この道を選びしわれの仕方なさ小脇にかかへ春を曲がりぬ
散文を嫌ひし猫のあと追へば「主なるイエスよ」歌の輪を過ぐ
脱皮する春のけはいの中にゐきピエロのころも借りにゆきたり
立たずめば花のかさぶた身にまとふ傷痍のわれに物語なく
「その角を」と言ふ人のゐて曲がりたり風がさらひし花の遺骸ぞ
他人の目を避けるやうに花眺む春に狂ふは性愛のごと 他人:ひと
福音を告げるがごとくチャイム鳴り再配達の歌集がとどく
薬液の落ちる音なき静脈に青く透けたる時のすぎゆく
春疾風散りゆくはなを見をさめんこれが最後ときのふも過ぎし 春疾風:はるはやて
花は散り亀の甲羅に張り付けば草間彌生のオブジェとなりぬ
毎日のなにを倦みたる甘いもの食みつつ見いる訃報の紙面
テレビを見おなじ場面で笑ひをり許されてあるかもしれぬとき
はなみづき陽に溶けはじめそれぞれの命ふるはす汀となりぬ
いつまでも灯火の馬めぐりをり断ち切りかたし追憶といふは 灯火:ともしび
とうとつになにはさておき夕暮れはおだやかならずときみは言ひにき
その夕暮れはなにを飲みこむ朱き口みな長き影もて向かひをり
をとこども肩をおとせりさくら散るよるべなき道あるくほかなく
さざんかは待ちくたびれたり上り坂あふげば落ちるかぎろひのごと
さくさくと否定されたりデザートを食みつつ告げるわたしの推理
ひとしきり雨 猫のゆくへを目で追へば体ふるはしくちなしに入る
春の変 口角あわをとばすごと雨降りしきり嗚呼れぼるしおん
きみを待ち煙草に消へし小半時風吹きやみて人は凪ぎたり
遠くから呼び声のする卯月午后身のあやふさと空のあをさと
決裂の編集終へしわが胸の誌面をひろげ一行を置く
シンビジウム甘き香りの運ばれてどこへ行けといふ青信号
貘さへも跨ひでゆきし悪夢から覚めればたれも見あたらぬ部屋