三十五首



気をつけてことりがくるよたそがれは手と手をつなぎ二人がきえて



色褪せた風吹くばかり万国の旗さびしくて路地裏真昼



川蜻蛉かつて文月失ひし夏の喪章の羽根を休めり



茫洋と夏ひるがえり河口より流れてさらに海をゆく川



立ち止まり空見上げれば人はみな追い越しゆきてわれは奇異なり



意味問へぬ女がぎらつと炎天になま足のばし夕立ちきたる



水たまり刹那見つめて空を踏む驟雨はすでにわれを過ぎたり



遠雷にざわめき始むる胸底の名もなきものを指折り数へ



諾諾と蝉の亡骸運びたる蟻ごと流す雨の慟哭



ぽつぽつと蝉の死骸を避けて行く夏の空てふ銀幕の中



夕闇に鳴く蝉悲しほうやれほちちつと途絶えし夏のみぎわに



ホームにて待つことだけを覚えをり陽は逝き紅く風は帰らず



陽に向かひ和紙を漉くやう雲はゆき物憂き耳朶のはつか熱おび



かな、かなとひぐらしの問ふこの夕べわれもいつぴき胸に飼いをり



移ろいを告げる木霊が降つてくるなかなか死なぬかなかななのか



午睡から目覚めてうつつベランダの溶けるサボテン日日の根腐れ



根腐れのサボテン溶けて棘なほもわが身を守りさらに溶けゆく



化粧する女を乗せて行く電車まつげを照らすはつかなる秋



気がつけば取り囲まれて秋の音の道といふ道たちつくすため



真夜穿つ月の虚ろの彼方より風は戦ぎて胸のヴィブラフォン



秋の陽に浸蝕されし金属の日時計ながく文字盤を超へ



目覚めては今日なすことを思いをり意味といふ病ふりはらいつつ



名も知らぬ果実みのりて秋雨に疾ふに捨てたる覚悟濡れをり



昼か夜か分からぬ地下の駅に着き行き先のさき曖昧になる



夕暮れに秋桜ゆれて風を知りゆきゆきてまた風のかさなり



秋の音に応える星の震へありガリレオの孤独吾も抱きをり



地下鉄の風に弔うけふひと日青い花散る静脈を過ぐ



この赤はノウゼンカズラ夢にまでたちあらわれて晩夏を告げし



夜死してまた陽の昇る残酷を心あらたに売り物にして



さよならもさよならの風 鳥葬の肉片のごと夜の底ゆく



疎ましと自らの影たち切りし白ユリ嬉嬉と夜を噛みをり



みずからを穢したもののにほひ満つ夜に群れ咲く緋の赦免花



白き夜に彼岸花咲きいつまでもいつまでなのか思ひめぐらし



鉄路にはまかやき紅く降り注ぎどこへ行けと言ふ青信号



秋の陽に枇杷の葉ふかく影をなし捥ぎしまま過ぐ夏の果実よ