夏越えし歌

月光50号(2017/2/28発行)

 

 

網の戸にしがみつきたる抜け殻も風にさらされ記憶となりぬ

 

二つ三つ蝉の骸を踏みし夜はわれを預けて眠たかりしを

 

囁いて夜にまみれてきみを抱くわれは一つの動詞であらん

 

ご冗談を舫とかれし舟のごと私は過去に抱かれていたの

 

窓辺にはガーベラ二つ無防備のひかり差し込む朝の来たりぬ

 

ペティナイフ水蜜桃の香のみちてきみの晒せる背なか見ている

 

もう一度ひるがえる旗たれのため死ねと言うのか誇りにまみれ

 

たれのため泣いているのか分からぬを勝者敗者と分かたれてあり

 

勝者にも空は高けり突き上げし拳のうえを鳥は舞いおり

 

ありがたくいつも敗者でありし日の「さすらい」歌うわれに会いたし

 

ああそうよ黄の花のこと覚えてる散って心に灯りともすの

 

月光を集めて咲ける石蕗にたれも語らぬ悔いはありけり

 

寝入るときふと気づきおりわれもまた涙の淵に立っていたんだと

 

いつの日か黒い小舟に乗せられて渡る川見ゆ胸の花束

 

 

 

 

 

追慕に沈むとしても


青空はやがて抱きしむ菜の花をわれに落ちくる恋に理由なく        理由:わけ



抱きしむる勝利もあれどわれはもう頭をたれる漢でありたし        頭:こうべ



窓ガラス一枚割れてその向こう空あることのしあわせ思う



ねえあなたあしたに空が割れるのよ風ふきわたり花そよぎおり



見えるまま絵にする狂気また詠う狂気もあらむ双頭の蛇



ウロボロス 震えているのは何のため血まで流して爪を噛むきみ



天秤の右へ傾きパラフィンに革命ひとつ包まれゆけり



薬包紙ひらく朝をきらめいて溶けてゆきしは累々たる今         朝:あした



未完という花ことばあり明日からは吹きわたるべし風の托卵



夏をゆく猫背のわれよ追憶よ未完のままに湧き立つ雲よ



二つぶの向精神薬ころがせば指の谷間に薄日は差せり



いち日をたった二つぶの錠剤で仕舞いと致すずんだ餅もとむ



水無月の小舟とならむ紫陽花をめぐる追慕に沈むとしても



延命のボートを降りし手の首のIDナンバー羅列となりき

七曜歌


月光のきざはし昇る帰りみち明日におもねる答えは捨てて         明日:あす



うなされて起きてまた寝る月曜の戦場にかかる橋を渡らず



緩やかな楕円をえがく火の星の紅とマニキュアきみを見つける



まだまだだやる気のでない火曜日のコーヒー自販機うなりをあげる



わが星が水の惑星なら水星はなに星ならん宇宙の一滴           惑星:ほし  宇宙:そら



息継ぎのターン美し水曜へ伸ばした腕の指先のさき



ホルストの右脳の果てを思いつつ眼閉じおりジュピターまでを       眼:まなこ



「だいじょうぶ」数値示され木曜の机をはさみ相対したり



明星は独りを写すピンホール天に向かいて人ならびおり



おざなりの仕事をおえて金曜の路地へと消えし男の猫背



外輪のしじまに留まるヤママユを纏いて立てりサートゥルヌスは



土曜日は通院と心得しかばけんけんぱ石ころ一つ拾ってゆかん



日輪の沈み昇りて同じ日にふたたび会えぬ歌を聴きおり



昼までをだらだら寝ており日曜の篠突く雨にくじけておるよ

片恋の生、あるいは花


水仙の黄のゆらめきの気ぜわしく、かなにひらきてそらをみたしぬ



マグノリア北をめざして身をよじり祈りの数の名前を持てり



木瓜の花、昼のさなかを耐えぬいて赤く咲くこと選びおりたり



昼下がりクラリネットが満ちゆきてひたすら懈しかげろうの立つ



鎌首をもたげているよ気だるくて殺意でさえもどうでもよくて



見つめれば見つめて返すモンステラわたしのごとき者でよければ



亡き母は敵のなき人いくばくの血をあがないてわれは来たれど



歯をみがく顔をあらうそしてのち砕かれていく頭蓋をもてり



決めかねて買いそびれたる消しゴムの虹の出るたび握りしめる手



一杯の酒あおるため白眼の日々送りたり片恋の生



ぬる燗と蛸の切り身をもうすこし一人ひとりの風の電話よ



誘われて選びたるもの何もなし目のまえの風、目のまえの橋



リビングの観葉植物みどりなす視野狭窄の平和の午後よ



手間いらず水栽培のヒヤシンスわが卓上の来賓となり



東日本大震災に見舞われた、岩手県大槌町の海を望む高台に、電話線がつながっていない電話ボックスがある。それは思いをつなぐ「風の電話」と呼ばれる。

褐変(デュアル4)


真冬日に冷えるイヤホン言い訳をすることもなくホームにて待つ



両の手をかくしていたりその朝は人を縊れる夢で起きにき



やり過ごす力もあらず路地裏の電線二本ゆれているのみ



電線になりたかったんです夕暮れに迷える人の家路のように



沼よぎる蛇のさざなみ網膜に焼きついており恋知らぬころ



恋そめしきみの名前をつけし花ムラサキツユクサむらさきのきみ



浪漫なら小さきろまん手のひらで潰すがごとく包めるように



あるがまま受け入るる朝もおとずれずスプーンの腹で潰せる苺



酩酊の手をつなぐ人ついになく知り得ぬままのうしろの正面



わらべ唄ほころびのごと漏れいずるつぐみつぐめど懐かしき声



棒立ちのわれであるから風吹くな今日の吐息を揺らしてゆくな



さてもさて木偶の坊なら弁明の機会を待たず北を向けとよ



傷めたる冬の指先これからは触れることなき君のまぶたも



褐変 はにかむような夕暮れは言葉ひとつを傷めてゆけり

月光の会 第三回黒田和美賞受賞

自選三十首 冬の踊り場



水菓子のたとえばそれは傷ついた鳥をつつみし手の椀に似て



         *



こぼれくる言葉をひろう春の日の影あわくしてきみは他人に



もうきみの仕草もわすれ花の名も思いだせずに卯月のかかり



ああここに地層が見えるきみ抱きしわが手のひらに降り積もるもの



ここからは致命傷なの指切りの指で引かれる切り取り線



そう、たとえば机のうえのノートにもはにかむような血の痕があって



日記にはいまだに涸れぬ湖にさまようきみの航跡がある



遠く降る雨の匂いと思うほど静かにそろう前髪がある



その髪を思い出せない朝となり雨あいまいにただただと降り



おしなべて日日は日々なり山梔子のかおりのひとつ事件のごとく



いちにちを泣いているらし初夏の風のおよばぬ窓辺のありぬ



雷雲の眩しかりけり少年のひとりが消えし夏のとびらよ



見上ぐれば入道たてり光背を畏れて過ぐる六十年を



微熱あり朝へしのびくる雨とひと匙すする粥のにおいと         朝:あした



舌を垂れ涎を垂れて犬のごと上目遣いのいち日のあり



黙祷とプールの匂い八月へ電車はゆけりまぶしき中を



サングラス外すことなき八月の焼かれし眼より伸びる蔓草



亡きひとは空の青さのその向こう神になるなどわれは思わず



祈りとは呪いにちかし愛憎の裏と表に神はましませ



濡れた砂一握の砂八月のさよならを告ぐ永遠の没り日に        永遠:とわ   没:い



一日は黄葉紅葉散りゆくを別れた人の泰然とあり             一日:いちじつ



その日には足すもののなし艶蕗の黄の花びらの欠けてあれども



西日入るキッチンごろんとわたくしの半生がうち捨てられてある



手を紙で切りたる夜のかたむきてああやっぱりと冬に入りぬ



ひとことも口を利かずに暮るる日の痩せるほど研ぐ包丁一柄



何ごとも始まるでなく終わるにも一寸(いっすん)足りぬ冬の一日



痛みには名前がほしい角砂糖溶けゆくまでの曖昧に耐え



目を閉ずる明き陽の中たれしもがわが身に迷う冬の踊り場               明き:あかき



寒雷がずっと鳴っている鳩尾のあたりに触れるきみの手のひら



         *



包むという生殺与奪おおいなる咎でありしか説かれる愛は

秋天


やれ、空へ一つの旗を掲げおりここに居るよとわれは惑いて        居:お




秋雨は音叉ふるわせこの道を戻るなかれと過ぎてゆきたり




加害者であるべきことの仕方なく問わず語りに剥がれゆく空




秋天の福音つげる雲たかく羊いっぴきを贖罪として




思う、とはいつかかならず戦ぐもの薄荷のごとき傷の残れり        戦:そよ




白秋の雨ゆるやかにさよならもきみの暦へ消えてゆきにき




かの地へと流れつくよう祈る手の割れてあらわる秋天の舟




歌うたう風のがしたる羊歯類のみっしりとあり雨の降るらん